日本橋箱崎町の今・むかし 

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箱崎町四丁目の歴史

 蛎殻町の東南海手に、幅30間(約50m)の入堀を隔てて築かれた島地で、旧区史に天正の埋立で南部が埋め立てられたとしている。寛永図には巾着型に画かれ、日本橋川沿いに後の北新堀町が一筋あるほかはすべてが武家地で「するが大納言様御くらやしき」「むか井将げん下やしき、くら有」と註してある。

 箱崎の町名の由来は明らかではなく、筑紫箱崎の名を取ったものとも、昔箱池(或いは箱崎池)があった所などともいい、定かでない。一名を朽木島と称したともいうが、これは延宝から享保にかけて、後の三丁目の地に朽木伊豫守の邸地があった頃に生じた名称であることは論をまつまい。

 江戸時代の此の地は大部分が武家屋敷で占められ、日本橋川下の新堀に沿った北新堀町と崩橋(後の箱崎橋)に橋際を立地とする箱崎町一丁目と二丁目が存するにすぎず、従って道路も箱崎川沿いに一条、新堀川沿いに一条と、ただ二条の道路があるにすぎなかった。

 維新後武家地が公収され、箱崎町三丁目、四丁目が誕生するのである。箱崎町四丁目は島の北半を占める景勝の地、延宝の頃には堀田対馬守、阿部美作守の邸地であり、元禄以後は阿部豊後守が一手に領していた。

 その後延享3年(1746)にいたり田安家がこの地を拝領、天保14年には隣地戸田采女正の上げ屋敷を併せて1万7千坪の大邸地となった。園池整い層楼聳え、眺望に秀でているので、田安家ではこの風光を賞して函崎八景と撰した。佃島夕照、深川夜雨、永代橋帰帆、霊岸寺晩鐘、石場晴嵐、中州落雁、三又秋月、筑波暮雪がこれである。

 田安家邸地は維新後に旧土佐藩主山内容堂候が入主し、明治38年に自費を投じて木橋・土州橋を架し、同42年に東京府に寄贈した。この橋梁によって陸送の便の著しく促進されたことを多としなければならない。山内家がこの地を去って後、土地の分譲が終わるまでのつかの間、旧庭園の築山は近所の少年達の格好の遊び場であったが、やがて住宅や工場が建ち、河岸沿地に日本郵船会社の倉庫の建設工事が始まり、急速に市街地と倉庫地帯となっていった。

 震災前は、北新堀町と箱崎町四丁目の中間地帯の三丁目、約8,000坪の土地は東神倉庫の所有地で、延々と塀が廻らされ、道路は全くなく、ただわずかに東神倉庫の表を通る八間道路が1本存するのみであった。しかもこの唯一の道路は交通量が多く障害を及ぼした。この交通上の障害を取り除くため、地元の人達は東神倉庫の敷地を宅地に解放することを強く要望し陳情するところがあったのである。その結果、北新堀町から北方に延び、三丁目を分断して中洲橋を渡り、中洲の中央にまで達する道路が新設されることになった。この区画整理により新設幹線道路以西に位置する東神倉庫会社(三井銀行の倉庫部が独立成立した倉庫会社)の敷地は開放されて、東京市立日本橋中学校の敷地となり、このため減少する同社の約3,000坪の換地として、隅田川河岸の日本銀行旧地との交換が認められ、ここに三井倉庫会社の大倉庫が出現することとなった。

 遊覧船に乗って隅田川を遡ったことのある人なら、永代橋をくぐるとすぐ上流左側の河岸地に建つ三井倉庫会社の大倉庫、それに引き続いて日本郵船会社の倉庫が幾陣となく立ち並ぶ素晴らしい景観を思い出すであろう。箱崎地区には倉庫が多かった。地方から商品を運漕してくる伝馬船は、箱崎川を主として利用したから、川はいつも中央にわずかな水路を残して、伝馬船で埋まっていた。昭和6年頃の風景である。

 こうした景況は終戦後も見られたが、昭和40年ごろから開始された首都高速道路6号線の建設工事に伴い箱崎川は埋め立てられた。西側は箱崎川に、東側は隅田川に接し、現在の日本橋川にさえぎられて、文字通り島的姿を呈していたのであるが、昭和45年(1970)、高速道路下の箱崎川が埋め立てられたことで現在の蛎殻町一・二丁目と陸続きになった。

 この地区にあった橋梁は全て撤去され、河川は平面道路に改造された。昭和47年(1972)7月1日に設けられたのが東京シティ・エア・ターミナルである。成田空港の開港遅延とともに、その機能も高速道路を通じて羽田空港に結ぶだけであったが、昭和53年(1978)5月成田空港開港とともに、ここが成田空港へ通ずる本拠地になった。

 昭和51年(1976)1月住居表示実施により、箱崎町一・二・三・四丁目と北新堀町を合わせて「箱崎町」の称に改まった。

 その後引き続き起工された箱崎インターチェンジと江東区方面を結ぶ首都高速道路9号線の建設も着々と進行した。昭和54年(1979)10月13日には隅田川大橋と命名された近代的な雄橋の開通式が行われた。橋は上下二層になっていて、上が高速道路で下は一般道路の橋という珍しい形式を備えている。

 平成2年(1990)11月28日には東京メトロ半蔵門線水天宮前駅[箱崎エアーターミナル前]が開業し、渋谷駅(東急田園都市線)や押上駅(東武伊勢崎線・日光線)方面へ向かうのに大変便利である。このように箱崎町は一躍、一大国際都市と化したのである。
 

中央区三十年史より(一部修正)

 

 

 

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